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東京地方裁判所 平成2年(ワ)8481号 判決 1991年9月30日

原告

甲野一郎

被告

株式会社朝日新聞

右代表者代表取締役

中江利忠

右訴訟代理人弁護士

芦苅伸幸

星川勇二

主文

一  被告は、原告に対し、金一〇〇万円及びこれに対する昭和六〇年一〇月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを八分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金八〇〇万円及びこれに対する昭和六〇年一〇月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者の地位等

(一) 原告は、昭和六〇年九月一一日、妻甲野一美に対する殺人未遂容疑(本件容疑)で逮捕され、同月二七日当時、同容疑で勾留されていた者である。

(二) 被告は、日刊新聞の発行等を目的とし、週刊誌「週刊朝日」を発行する株式会社であり、前川恵司記者(前川記者)及び川村二郎副編集長(川村副編集長)は、いずれも被告の従業員である。

2  本件記事の掲載

被告は、いずれも、前川記者の取材、川村副編集長の編集への関与により、「週刊朝日」の昭和六〇年九月二七日号に、「スクープ盗み撮り写真で皇族を脅迫していた『悪の天才』の半生」との見出しの下に、別紙一記載の記事(本件第一記事)を、同誌の同年一〇月一一日号に、「殺された花子さんの周辺にまとわりつく、“脅迫魔”甲野一郎の影」との見出しの下に、同二記載の記事(本件第二記事)をそれぞれ掲載した。

3  名誉毀損

(一) 本件第一記事は、その見出しに「盗み撮り写真で皇族を脅迫していた」、小見出しに「少年時代、入浴中の宮家の女性を写真に撮り、送り付けて脅す、大胆不敵な変質犯罪さえやった。」、本文中に「犯人は、当時十九歳の少年だった甲野一郎である。」「甲野が、取調室で、急に思いついたように、写真を撮ったことを、自分のほうからしゃべったのだ。」等の記述を含む。

(二) 本件第二記事は、その小見出し中に「一方、昨秋ロンドンに逃避行中の甲野が、かつて取引のあった『伊勢丹』を脅す手紙を送っていたことも明らかになった。」(第一部分)、本文中に「一美さんの父、乙山二郎さんは、シンガポールでの挙式の前夜、『甲野は伊勢丹社員と二人で金髪女性を買っていた』と知らされている。その社員と甲野は『女千人斬りの会』を作って女漁りを続けていた、という話もある。」(第二部分)、「十八歳の甲野が、宮家の女性が風呂に入っているところの写真を盗み撮りし、脅迫状を送っていたことは本誌九月二十七日号で紹介したが、それだけでなく、石原裕次郎夫人の北原三枝さん(五二)も同じ手口で脅迫していた。」(第三部分)、「甲野の周辺で偶然に起きることはなにもないといってよい。すべて計算ずくで、しかも手口がいつも似かよっている。花子さんにまとわりつく甲野の影に気づいたAさんの家と、問題の写真の女性にかかった不気味な電話の主がだれか、想像にかたくない。」(第四部分)等の記述を含む。

(三) 右のような内容を記載した本件各記事の掲載によって、原告はその名誉を著しく毀損された。

4  損害

原告は、本件各記事によって、その名誉を毀損され、精神的苦痛を被ったところ、これに対する慰謝料としては、金一五〇〇万円が相当である。

5  よって、原告は、被告に対し、不法行為による損害賠償として損害金一五〇〇万円の内金八〇〇万円及びこれに対する不法行為の日である昭和六〇年一〇月一一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1及び2は認める。

2  同3のうち、(一)及び(二)は認め、(三)は争う。

本件各記事は、原告が本件容疑で逮捕された後に掲載されたもので、右逮捕によって原告に対する社会的評価は既に低下していたのであるから、本件各記事が原告に対する社会的評価を低下せしめたわけではない。

3  同4は争う。

三  抗弁

1  事実の公共性及び目的の公益性

本件各記事は、原告が本件容疑で逮捕されたのを機会に、容疑者である原告の前歴・性行を明らかにすることによって、右事件の全貌を解明する目的で掲載されたもので、公共の利害に関する事実に係り、専ら公益を図る目的に出たものである。

2  本件各記事内容の真実性ないし真実と信ずるについて相当の理由

被告は、本件第一記事を掲載するに際し、昭和四一年ころ原告を直接取り調べた神奈川県警の捜査員三名に取材したうえ、被害者の親族に被害事実を確認しているし、本件第二記事についても、原告に親しい人物からの取材結果に基づいて執筆している。

したがって、本件各記事の内容は、真実であるか、少なくとも被告において真実であると確信していたところであり、右取材状況からして、真実であると信ずるについて、相当の理由があるというべきである。

四  抗弁に対する認否

抗弁1及び2は争う。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1(当事者の地位等)及び2(本件各記事の掲載)の各事実は、当事者間に争いがない。

二請求原因3(名誉毀損)について

1  本件第一記事は、原告が昭和四〇年に発生した皇族脅迫事件の犯人であると断定するもので、原告の社会的評価を低下させる内容の記事であることは明らかで、その掲載によって、原告の名誉は毀損されたというべきである。

次に、本件第二記事のうち、第一部分は伊勢丹が脅迫された事件に関し、第三部分は北原三枝が脅迫された事件に関し、それぞれその犯人が原告であると断定的に報じるものであり、さらに、第二部分は、原告の私生活上のいわゆる醜聞に関する事実を内容とし、原告の人柄・品位を貶めるものであるし、第四部分も、本件第二記事全体を通して読めば、原告がAなる人物らを電話で脅迫していたとの事実を指摘するものである。したがって、本件第二記事の各部分は、いずれも原告の社会的評価を低下させる内容のもので、その掲載によって原告の名誉は毀損されたというべきである。

2  被告は、この点に関し、本件各記事掲載当時、原告は本件容疑で逮捕され、その社会的評価が既に低下していたとして、本件各記事により原告の社会的評価を低下させてはいないと主張する。

しかしながら、ある犯罪容疑で逮捕されたからといって、その者に対する社会的評価が無に帰するものではないことはいうまでもないところ、本件各記事は、原告が逮捕された犯罪容疑とは全く別個の具体的事実、即ち原告が犯したとされる他の犯罪やその私生活上の行状に関する事実を報道するものであり、それら事実がおよそ人の社会的評価を低下せしめるに足りる内容である以上、その報道によって名誉毀損が成立することは明らかであって、この点に関する被告の主張は採用することができない。

三抗弁について

一般に、名誉毀損に関しては、当該行為が公共の利害に関する事実に係り、専ら公益を図る目的に出た場合において、摘示された事実が真実であることが証明されたときには、その行為は違法性を欠くものとして、不法行為にはならない。また、右事実が真実であることが証明されなくとも、その行為者においてその事実を真実であると信ずるについて相当の理由があるときには、右行為には故意又は過失がなく、結局不法行為は成立しない。

1  事実の公共性及び目的の公益性について

(一) 犯罪行為に関する事実は、それについて公訴が提起される以前であっても、公共の利害に関する事実にあたり、右犯罪事実に関連する限り、容疑者の経歴や私生活にわたる事実も、同様に解すべきである。もっとも、公訴提起前の犯罪行為に関連する事実が公共の利害に関する事実とされるのは、右事実の公表により、犯罪捜査の端緒が与えられ、また不当な捜査怠慢・不起訴に対する公の批判を喚起することにあると解される。右趣旨に鑑みると、犯罪と関連する事実であるからといって、あらゆる事実の摘示が許されるわけではなく、時間の経過等により摘示される事実について公訴が提起される余地がなくなったなどの場合には、もはや右事実は公共の利害に関するものということはできないし、犯罪について事実を摘示することがなお公共の利害に関するものといいうる場合であっても、当該犯罪とは直接はかかわりがない容疑者の経歴や私生活上の行状に関する事実の摘示は、当該犯罪を評価するのに資する等当該犯罪と一定の関連を有する限度においてのみ、許容されうるものと解するのが相当である。

(二) そこで、右の見地に立って、本件各記事について検討する。

(1)  本件第一記事及び本件第二記事第三部分

本件第一記事及び本件第二記事第三部分は、いずれも原告が本件容疑で逮捕・勾留されている事実と併せ、原告が少年時代に犯したとされる過去の犯罪事実を摘示したものである。一般に容疑者の前科・前歴は、起訴・不起訴の相当性を判断する重要な資料となるものと解するのが相当であり、本件容疑が殺人未遂という重大な犯罪に係るものであることをも考慮すると、標記の事実は、本件容疑事実が発生したとされる時より約二〇年も以前のものではあるが、なお、犯罪と密接に関連する事実として、公共の利害に関する事実に当たると解するのが相当である。

そして、右事実の摘示は、報道機関によってされたという事実のみから、専ら公益を図るためにされたと推認することができる。

(2)  本件第二記事第二部分

本件第二記事第二部分は、専ら原告の私生活上のいわゆる醜聞に関する事実を摘示するもので、本件容疑とは何ら関係がなく、また、これを評価するのに資するものでもないから、右醜聞に関する事実をもって、公共の利害に関する事実ということは到底できない。したがって、右部分については、その摘示事実の真実性について判断するまでもなく、被告の主張は採用することができない。

(3)  本件第二記事第一及び第四部分

本件第二記事第一部分及び第四部分は、本件容疑の他に、これとは別個の犯罪である脅迫の容疑事実を摘示したものであり、右事実の摘示は、公共の利害に関するものということができ、前同様それが報道機関によってされたという事実から、専ら公益を図るためにされたと推認することができる。

2  事実の真実性について

そこで、次に本件各記事中、公共の利害に関し、専ら公益を図る目的で摘示されたと解される事実について、内容の真実性ないし真実と信ずるについての相当の理由の存否について、検討する。

(一)  本件第一記事

<証拠>には、本件第一記事は、前川記者が神奈川県警や保土ヶ谷警察署の複数の元捜査員から取材した結果に基づいて執筆したものであって、同記者の報告によると、同記者は、右元捜査員らから、昭和四一年ころ放火容疑で逮捕されていた原告を取り調べた際、三笠宮脅迫事件の犯行を認める供述を得たことがあるとの情報を入手し、合計約五回、述べ五、六時間にわたって取材を重ねたとのことで、右報告を受けた川村証人自身も皇族に詳しい人物から当時の三笠宮家の様子を取材したとの供述部分がある。

しかしながら、川村証人は、いずれの情報源についてもその氏名等これを特定するに足りる事情を何ら明らかにしていないし、編集者や取材記者が取材した事実を裏づけるための具体的事情を明らかにしないまま、単に取材したとのみ述べるにとどまるだけでは、果して元捜査員らから右のような取材がされたかどうかを確定するには到底足りず、この点はしばらく措くとしても、同証言によると、右取材内容について、同証人も前川記者も何の裏付取材もしていないばかりか、原告あるいはその代理人である弁護士に対し、その真偽を確かめるための取材申込みすら行っていないこと、右脅迫事件に関連して捜査当局の公式発表が行われたことはなく、同証人及び前川記者は元捜査員らからの取材だけに基づいて原告が右事件の犯人であると考えたことが認められる。捜査当局の公式の発表によるのでもなく、人を犯罪人と決めつけるには、誤った報道による被害の深刻さを考慮するときは、特に慎重な裏付取材を必要とするというべきであり、本件第一記事の摘示する事実が、約二〇年も前の軽微な犯罪行為に係り、捜査当局の公式の発表もないまま既に公訴時効の完成に必要な期間も経過していることにも思いを致すと、原告又はその代理人である弁護士に対する取材はおろか、何の裏付取材もすることなく、単に当時の捜査員らからの取材によるだけで原告を犯人と断定した記事を掲載したことは、極めて軽率であったとのそしりを免れない。右摘示された事実について、それが真実であるか、又は真実であると信ずるについて相当の理由があると認めることは到底できない。

(二) 本件第二記事第一部分

<証拠>には、本件第二記事第一部分は前川記者が警視庁捜査員や伊勢丹関係者、原告の経営する店舗の関係者から取材した結果に基づいて執筆したものであり、伊勢丹に送付された脅迫文は時事通信社から入手したとの供述部分がある。

しかしながら、<証拠>は、いずれの情報源についてもその氏名等これを特定するに足りる事情を何ら明らかにしていないうえ、取材の具体的内容も漠然としていて極めて不明確であり、それだけでは、前同様の理由から、捜査員らからどのような取材がされたのかを確定することができず、この点をしばらく措くとしても、同証言によると、右取材内容について、同証人も前川記者も何の裏付取材も行っていないばかりか、原告らに対し、その真偽を確かめるための取材申込みすら行っていないこと、右脅迫事件に関連して捜査当局の公式発表が行われたこともないことが認められる。右事情の下で人を犯罪人と断定する記事を掲載したことは、前同様の理由により、軽率のそしりを免れないというべきで、右摘示された事実について、それが真実であるか、又は真実であると信ずるについて相当の理由があると認めることは到底できない。

(三) 本件第二記事第三部分

<証拠>には、本件第二記事第三部分は、前川記者が成城署の元捜査員から取材した結果に基づいて執筆したもので、同証人が昭和四〇年当時、北原三枝脅迫事件を担当していた記者に確認したところ、右当時、警察庁が公式の場で、右事件と三笠宮脅迫事件とは同一犯人の犯行との見方を発表したとのことであったため、三笠宮脅迫事件に関する前川記者の前記(一)の取材結果と併せて、北原三枝を脅迫したのも原告であると判断したとの供述部分がある。

しかしながら、<証拠>は、その情報源についてその氏名等これを特定するに足りる事情を何ら明らかにしていないうえ、取材の具体的内容も全く不明であり、それだけでは、前同様の理由から、捜査員からどのような取材がされたのかを確定することができず、この点をしばらく措くとしても、同証言によると、右取材内容について、同証人も前川記者も何の裏付取材も行っていないばかりか、原告らに対し、その真偽を確かめるための取材申込みすら行っていないこと、右脅迫事件が原告の犯行であるとの捜査当局の公式発表が行われたこともないことが認められる。右事情の下で人を犯罪人と断定する記事を掲載したことは、前同様の理由により、極めて軽率であったとのそしりを免れない。また、前記(一)で判示したとおり、前川記者の取材だけで三笠宮脅迫事件の犯人を原告と断定したこと自体、極めて軽率であったというべきであるから、これを前提として原告が北原三枝を脅迫したと考えたことは、右内容を真実と確信するに足りる相当な根拠とは到底なり得ない。したがって、本件第二記事第三部分が真実であるか、又は真実であると信ずるについて相当の理由を認めることは到底できない。

(四) 本件第二記事第四部分

<証拠>には、本件第二記事第四部分は、前川記者が原告や被害者に親しい人から取材した結果に基づいて執筆したものであるとの供述部分がある。

しかしながら、川村証人は、いずれの情報源についてもその氏名等これを特定するに足りる事情を何ら明らかにしておらず、それだけでは、前同様の理由から、原告や被害者に親しい人物らからどのような取材がされたのかを確定することができず、この点をしばらく措くとしても、同証言によると、原告がAなる人物らに脅迫電話をかけたというのは全くの推測にすぎず、この点に関して原告らに対する取材はおろか、何の裏付取材も行っていないことが認められるから、原告があたかもAなる人物らを電話で脅迫していたかのような記事を掲載することは、極めて軽率であったとのそしりを免れないというべきで、右摘示事実について、それが真実であるか、又は真実であると信ずるについて相当の理由を認めることは到底できない。

3  以上のとおり、本件第二記事第二部分については、摘示された事実が公共の利害に関するものと認めることができず、その余の本件各記事各部分については、事実が公共の利害に関し、専ら公益を図る目的で報道したものと認めることはできるものの、記事の内容が真実であるか、又は真実であると信ずるについて相当の理由を認めることはできないから、結局、名誉毀損による不法行為の成立を妨げるに足りる要件の存在を認めることはできない。

四被告の責任

本件各記事が被告の従業員である前川記者の執筆に係り、川村副編集長がその編集にあたったことは、先に認定した(理由一参照)とおりであり、右記事による原告の名誉の毀損につき、被告は、民法七一五条の不法行為責任を負う。

五損害

本件に現れた一切の諸事情を考慮すると、本件各記事によって生じた原告の名誉毀損により原告が受けた精神的損害を慰謝するための賠償額は、金一〇〇万円が相当である。

六結論

以上の次第で、本訴請求は、金一〇〇万円及びこれに対する不法行為の日である昭和六〇年一〇月一一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるから、これを認容し、その余は理由がないから、これを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官江見弘武 裁判官貝阿彌誠 裁判官福井章代)

別紙<省略>

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